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2010/12/23

よっぱらいの戯言 アジャイル系勉強会に参加して思う事

スクラム道02の帰り道もんもんと考えていたことをよっぱらいのまま書いてみる。

アジャイル系勉強会は楽しいね、ウォターフォールでは出来ないことをしている人たちと出会えるからね。
 
しかし、ふと思う時がある、まじめにアジャイルを求めている人と、
アジャイルにのっかっているだけの人がいないか?



ウォターフォールな会社にいる私は、社内に勢いでアジャイルをぶち込もうとしたことがある、
しかしながら彼らはアジャイルを蔑視した、理想論だが出来る訳がないと。

アジャイル勉強会にウォーターフォールの話を持っていくと、
嫌がられることが多い。彼らはウォーターフォールを理論的ではないと蔑視する。
(うまくいけば何でもいいんじゃない?と言う人もいるが正論だが議論にならない)



理論的でない超過労働は効率を下げる、適度な労働時間こそが効率を上げる秘訣だ。
むぅ、その通り、だがしかし、適度な労働時間とは何時間だ?

超過労働とは何時間から?
残業はよろしくないという、だがちょっと待って、
8時間労働の会社さんの人がそういう場合、
7.5時間労働の会社から見ると、既に30分残業してるんですけど?

労働時間5時間の会社ならば、3時間のオーバーワークだ。
逆に10時間勤務の会社なら後2時間は残業時間内に働けるよね。

え?36協定とかで決まってるじゃない?
誰が決めたのその時間、アジャイラーが決めたの?誰がコミットしたの?
さて適度な労働時間っていくつだろ?

常に8時間働いている人は6時間ぐらいは集中力を持って働けるだろう、
常に10時間働いている人は8時間ぐらい集中力を持って働けるだろう、
そんなのはアンチパターンだ、能率が出るわけないって?

そうかもしれない、君はそうかもしれない。
じゃ僕はどうなのかな?
そして本当に君の仕事は能率が下がるのか?

全てのプロジェクト、全ての人で最適解は変わってくる、
ベストプラクティスはないってのがアジャイルプラクティスで読んだ内容だったと思う。
多いに賛成する。

だから思考を止めるな。

話は変わるが、私はプロセス重視のウォーターフォールが嫌いだ、
なぜならそこに自分が考える余地がないからだ、自分の工夫の余地が少ないからだ。

アジャイルは自由だ、自分で考え、自分で実行し、失敗から成功を生み出す事が出来る。
(ウォーターフォールでも出来るじゃないかって?そうかもしれない)

だが、何人かの人間はアジャイルというプロセスを重視しているにすぎない。

ある人は言う、アジャイルで仕事をしていると、アジャイルでしか見積りが通らなくなる。



プラクティスはツールだ、それはその通りだ。
振り回されてはいけない、それは使うときの話だ。
だからさ、勉強会ぐらいなんでそのプラクティスが生まれたのか、
本当によいプラクティスなのか、使えないケースはないのか考えてもいいんじゃないか?
それを宣っているのがどこの偉い人だろうと、僕じゃないんだから。


アンチパターンもそうだ。
それで失敗したことがあるからこそのアンチパターンだ。
今日は勉強会の場でプロジェクトの見積り時「上級者のみで見積もることはアンチパターンだ」と出た。
理由は上級者のタスク消化イメージで見積られるので、
計画が実際にチームでこなされる速度よりも、はやい速度で見積もられるから。
なるほど。
だが待ってくれ、それ本当に上級者か?ただの業務に対する有識者じゃないのか?
他人に仕事降る際に適切な見積り(厳密ではない)が出来ない上級者ってありか?

勘違いしないでほしいが「上級者のみで見積もること」がベストプラクティスだと言ってるんじゃない。
またアンチパターンじゃないとも言っていない。
人に、そしてプロジェクトに依存するんじゃないのか?

ただし、理由が見積り時にチーム全体のコミットがとれないから、
上級者のみでの見積りは危険だ。という話なら分かる。


駄目だな、思考が発散するのでこの辺りで閉じる。

最後に一つ、禅の臨済録の中でつらつらと書かれている内容を見るに、
臨済義玄が嫌がっていた弟子の振る舞いは、禅ごっこをすること。

仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母(ぶも)に逢うては父母を殺し、親眷(しんけん)に逢うては親眷を殺して始めて解脱し、物と拘(かか)わらず、透脱(とうだつ)自在なることを得ん。


アジャイルは大丈夫か?